一時は150社を超える数が存在したと言われる日本のバイクメーカーですが、激しい生き残り競争の末、この頃には10社程度に淘汰されていたようです。
画像は「鈴鹿サーキット50年の歴史」から |
鈴鹿サーキットのこけら落としとなった第1回全日本ロードレース大会。
大久保力さんの「サーキット燦々」(三栄書房)によると、
1950年頃には約70のメーカーが存在したが、スズカ完成の1962年には10社以下に減り、レース参加メーカーはホンダ、ヤマハ、スズキ、トーハツの四社、他は外車所有の個人や輸入元である。とあります。
鈴鹿サーキットオープン時の4大メーカーといえば、ホンダ、ヤマハ、スズキと、東京発動機・トーハツだったのですね。
実際トーハツは、1955年頃は国内シェアNo.1だったとのことです。
カワサキが本格的にレースに関わるのはこの後ということですね。
そしてトーハツは、このすぐ後(1964年2月)には倒産、会社更生法の適用という事態になってしまいます。(→Wikipedia)
この時のレースは、カワサキの明石工場からバスが出て、高橋鉄郎さんほか大勢の人がレース観戦をしています。
返信削除そしてそれが翌年の青野ケ原モトクロス出場に繋がったのです。
多分、この時の250cc優勝者が神戸木の実の片山義美、350ccが後カワサキコンバットを主宰した三橋実妥田tのではと思っています。一度きっちり調べてみてください。
ご両人ともカワサキのレース創成期に大いに寄与してくれました。(古谷記)
「サーキット燦々」の巻末のリザルトを見ると、確かにノービス250ccクラス優勝が三橋実さん(ヤマハTD1)、2位片山義美さん(ヤマハTD1)、ノービス350ccの優勝が片山義美さん(ヤマハTD1)ですね(2〜19位までホンダ)。
削除ちなみに、セニアの125ccクラスでは、安良岡健さんがトーハツで13位になっていますね。