2012年8月29日水曜日

昭和37年 鈴鹿サーキットオープン時の4大メーカーと言えば...

鈴鹿サーキットがオープンしたのは1962年(昭和37年)。

一時は150社を超える数が存在したと言われる日本のバイクメーカーですが、激しい生き残り競争の末、この頃には10社程度に淘汰されていたようです。

画像は「鈴鹿サーキット50年の歴史」から

鈴鹿サーキットのこけら落としとなった第1回全日本ロードレース大会。
大久保力さんの「サーキット燦々」(三栄書房)によると、
1950年頃には約70のメーカーが存在したが、スズカ完成の1962年には10社以下に減り、レース参加メーカーはホンダ、ヤマハ、スズキ、トーハツの四社、他は外車所有の個人や輸入元である。
とあります。

鈴鹿サーキットオープン時の4大メーカーといえば、ホンダ、ヤマハ、スズキと、東京発動機・トーハツだったのですね。
実際トーハツは、1955年頃は国内シェアNo.1だったとのことです。

カワサキが本格的にレースに関わるのはこの後ということですね。
そしてトーハツは、このすぐ後(1964年2月)には倒産、会社更生法の適用という事態になってしまいます。(→Wikipedia


2 件のコメント:

  1. この時のレースは、カワサキの明石工場からバスが出て、高橋鉄郎さんほか大勢の人がレース観戦をしています。
    そしてそれが翌年の青野ケ原モトクロス出場に繋がったのです。
    多分、この時の250cc優勝者が神戸木の実の片山義美、350ccが後カワサキコンバットを主宰した三橋実妥田tのではと思っています。一度きっちり調べてみてください。
    ご両人ともカワサキのレース創成期に大いに寄与してくれました。(古谷記)

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    1. 「サーキット燦々」の巻末のリザルトを見ると、確かにノービス250ccクラス優勝が三橋実さん(ヤマハTD1)、2位片山義美さん(ヤマハTD1)、ノービス350ccの優勝が片山義美さん(ヤマハTD1)ですね(2〜19位までホンダ)。
      ちなみに、セニアの125ccクラスでは、安良岡健さんがトーハツで13位になっていますね。

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