ラベル カワサキ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル カワサキ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年11月12日月曜日

第1回トークイベント終了しました:ありがとうございました!

二輪文化を伝える会、第1回のイベントが終了しました。

ご参加いただいた皆さん、そしてゲストの古谷さん、山本さん、ありがとうございました!

土曜日は、山本さんがサプライズゲストとして、星野一義さん、金子豊さん、岡部能夫さん(三人とも元カワサキのライダー、カワサキコンバットのメンバーの方々です)を呼んでくださいまして、おおいに盛り上がりました。


昔の写真を見て星野さんも懐かしがっていました。



この日の星野さんはもう完全に「ライダー星野」「カワサキの星野」でした!
当時大好きでよく描いていたというCB72のイラスト、その場で描いてくださったものです!超貴重品!


*

日曜は一転、テーブルを囲んでじっくりお話を聞く会となり、濃密な時間となりました。


山本さんにはバイクの乗りはじめの頃から、じっくりお話をお聞きしました。明かせない裏話ももちろん有り!

*
とりあえず速報でした。
開催レポートはあらためてイベント報告としてホームページに掲載します。

「二輪文化を伝える会」として、これでまずはじめの一歩を踏み出せたような気がします。

今後ともどうぞよろしくお願い致します!

2012年10月7日日曜日

11月10日・11日に第1回トークショー開催!


11月10日と11日、東京・品川にて二輪文化を伝える会・第1回のトークショーを開催します。

ゲストはMFJ初代モトクロスチャンピオン山本隆さんとカワサキ二輪事業の初期から携わってきた古谷錬太郎さん。

場所はJR品川駅直結のアトレ品川4Fカフェダイニング・トランスファー。
10日(土)17:00〜20:00、11日(日)10:45〜13:45
各日とも30名様限定です。

おふたりには貴重な日本のバイクの歴史・カワサキのレースの歴史についてお伺いします。

関東でおふたりのお話が聞ける機会はなかなかないと思います。

詳細・お申込みはイベント情報のページから。

*

2012年9月3日月曜日

メグロの歴史:目黒製作所と北見さん


「日本のオートバイ・
CATALOG COLLECTION」
(双葉社)から
「メグロ」というブランドが、カワサキと関係がある、という程度の知識しかありませんでした。

メグロは目黒製作所が作ったオートバイ。

「メグロの履歴室」を参考にその創業エピソードを振り返ると・・・。

目黒製作所は、1924年(大正13年)に創業。
日本のオートバイメーカーの中でもかなりの老舗と言えるでしょう。

創業者が目黒さんだったかというと、そうではなく、村田延治さん。

ではなぜ「目黒製作所」?

所在地の荏原郡から取ることを考えるが、当時既に(株)荏原製作所が盛業中であり、「製作所」の語尾を付けたい二人には、この案は取れなかった。当時工場名に「製作所」と入れることが流行り、また信頼の高い事業所も多かったこともあり、はずせなかった。では、と桐ヶ谷とすれば近所に火葬場があり印象が悪い。思案した末、選んだのが「目黒」であった。目黒の街からはやや離れてはいるが、この周辺を「目黒」と称していたことと、河川や近所にあったお不動さんも競馬場も「目黒」なのだし、これなら良いだろう・・・と。
ここに「目黒製作所」の創業をみたのである。
(~メグロの履歴室~:目黒製作所創業まで(2))
ということで「目黒製作所」となったらしい。

*

ここから長いメグロの歴史が始まります。
カワサキに吸収される昭和39年で終わってしまったわけではなく、今も「W」をはじめカワサキのオートバイにその血は流れ続けています。

中央が北見さん。
(左は元チームグリーン監督平井さん、右は元カワサキ古谷さん)
夏にお会いした北見紀生さん。
カワサキZ系のチューナーとして今も多くのファンがいる方ですが、北見さんはメグロのご出身。
確か入社は昭和28年とおっしゃっていたかな。当時は30人くらいの町工場で、そのあと会社は巨大化し、労使紛争があり、やがてカワサキへ、という一連の歴史を社内で見てこられた方です。


2012年8月30日木曜日

メイハツ、メグロ、そしてカワサキ

戦後、日本には本当にたくさんのメーカーがあり、それぞれ特徴的な生い立ちがあります。

その中でも、カワサキ(のオートバイ)の成り立ちはなかなかわかりづらいんです。

画像は「栄光のモーターサイクル列伝」から

もちろん、もともとは川崎正蔵さんによる川崎造船所からはじまるのですが(正確には川崎築地造船所かな。のちの川崎重工業)、二輪車の製造に関しては、戦後、自転車用エンジンの供給を開始したところから。

ざっくり整理してしまうと、戦後に川崎航空機が製造した小型2サイクルエンジンの供給先として川崎明発工業(メイハツ)ができ、その後に大型4サイクル車が主力だったメグロを吸収して、今のカワサキとなるんですね。ざっくりし過ぎですけど。

そうして、WやMachやZといった名車たちが、生まれてくるわけです。

おおまかな流れについては、「栄光のモーターサイクル列伝:カワサキ」でつかめると思います。

2012年8月21日火曜日

浅間から鈴鹿へ。そして「カワサキ」の登場

今年、鈴鹿サーキットは開場50周年。
1962年(昭和37年)の9月にオープンしたわけです。

浅間から鈴鹿サーキットオープンまで、どんな流れだったかをおさらいしてみます。

浅間高原自動車テストコースができて第2回浅間火山レースが開催されたのは1957年(昭和32年)。その後クラブマンレースも含め、1959年(昭和34年)まで浅間のコースでレースが開催されます。

画像は「浅間火山レース2 - 日本のモータースポーツ黎明期物語 砂子義一伝説」より


浅間でのレースの成果でオートバイの性能も上がる反面、技術競争や販売競争に敗れたメーカーがだんだんと二輪車事業から撤退・廃業することに。

そして早くも1960年(昭和35年)にはコースの安全性や、コースを舗装するにはお金がかかりすぎる等の理由で、浅間高原テストコースでのレースの開催はされなくなってしまうのです。

すでに同じ時期、ホンダ、スズキ、ヤマハの各社は、マン島TTレースをはじめ世界グランプリに出場するようになっていて、日本にも舗装コースの必要性が求められてきました。

そこでホンダが鈴鹿に国際レーシングコースの建設を計画。1961年(昭和36年)に着工、1962年(昭和37年)9月に竣工、11月にはこけら落としとして第1回全日本ロードレース大会が開催されたのでした。

画像は「鈴鹿サーキット50年の歴史」から

ここで、速遅速遅密疎密疎(はおはおみそみそ)の資料-5 メーカー別生産台数を見てみると、この1962年前後に、宮田製作所・丸正自動車・メグロ(カワサキに吸収)・平野製作所・トーハツ・山口自転車などが撤退しています。

ところで、カワサキの名があまり表に出て来ません。

1953年(昭和28年)に、当時の川崎航空機が明発工業を設立し、エンジンを供給して二輪車製造(メイハツ)には関わって来ましたが、「カワサキ」の名が出てくるのは、1961年にメイハツとメグロ販売を吸収してカワサキ自動車販売ができてからということでしょうか。(Team Green 平井稔男元監督のブログより)

ここからのカワサキの詳しい内部の動き(!)は、川崎重工OBでありNPO法人TheGoodTimes理事長の古谷錬太郎さんが、ブログ「雑感日記」の中で「二輪文化を伝える会」のために纏めてくださった「鈴鹿50周年と当時のカワサキ(第1回)」「鈴鹿50周年と当時のカワサキ(第2回)」でいろいろ知ることができますよ!