2012年7月23日月曜日

昭和34年 第1回全日本モトクロス大会(信太山)の貴重映像

1960年代 第1次モトクロスブームのところでも書きましたが、第1回全日本クラブマンレース(浅間コース)の翌年(昭和59年)4月19日に、大阪の信太山(しのだやま)特設コースで開かれたのが「第1回全日本モトクロス大会(MCFAJ)」。
初めてモトクロスという名前が使われた大会です。

その貴重映像を"静爺さん"にご提供いただきました!
(8mmで撮影、後にVHS、DVDへと焼き直したものです。)

通称「地獄谷」の様子や、当時18歳の北野元選手の姿も見られます。



今で言うエンデューロのようなレース展開ですねぇ。
マシンもライダーもまだまだ「モトクロス」になっていなくて、悪戦苦闘の様子がわかります。

レース結果は、
125ccクラス優勝:久保和夫(ヤマハYA-1、城北ライダース)
250ccクラス優勝:中尾保
251cc以上クラス優勝:藤井猛
オープンクラス優勝:北野元(ホンダMF350)
(「モトクロス黄金時代」より)


「二輪文化を伝える会」から
  • 1959年 第1回全日本モトクロス競技大会(MCFAJ)
関連リンク

2012年7月17日火曜日

フジクラタイヤ

画像は「れとろ看板写真館」から
フジクラタイヤ。
つい最近まで知りませんでした。

浅間の頃(昭和30〜34年)、藤倉のOFF用タイヤを履いていた、とのコメントをFacebookで発見。

オートバイもたくさんメーカーがあった時代です。
タイヤメーカーもそれなりにたくさんあったのかな?

他にどんなタイヤが使われていたのか、ちょっと調べみたけどよくわかりません。

ダンロップやブリヂストンは?


こんな広告は見つけました。

画像は、1963年発行のMFJ情報誌「ライディング」
もてぎハウス物語」さんから


メイハツ、トーハツ、ダイハツ、ヤマハ発動機

「発動機」って言葉、今や「ヤマハ発動機」でしか聞かないような。

ネット辞書で調べると、ずばり「動力を発生する機関。エンジン。」。


*

さて浅間の頃によく聞くメーカー「トーハツ」。
一時は日本一のオートバイメーカーでした。



画像はブログ「さびさび」さんから
想像つきます。そもそもは東京発動機。(→Wikipedia

*

そして「メイハツ」。
カワサキオートバイの前身のひとつ。明発工業(のち川崎明発工業)。

画像は「HONDA CL72をと日々の出来事」さんから
漢字からなんとなく想像できました。

カワサキの工場がある明石+発動機。略して明発。
(参考:原付王国

*

最後に「ダイハツ」。
二輪車は作っていなかったようですが、当時オート三輪では一大メーカー。
【追記】ダイハツとしてではないけれど、子会社のツバサ工業ツバサ号の設計はダイハツが行っていたとのことです。(60おじさんこと山本隆さん、ありがとうございます)

この流れでだいたい分りますね。

かつての社名は「動機製造株式会社」。
株式市場で「トーハツ」と区別するために、「大阪の」という意味で「ダイハツ」と略称されるようになり、それが社名になったとのこと。(→Wikipedia



関東生まれ関東育ちの私は知りませんでした!


ちなみに現在の本社の所在地は「大阪府池田市ダイハツ町」なんですね。


そんなトリビアねたでした。


2012年7月15日日曜日

1960年代 第1次モトクロスブーム

時代は浅間の頃に戻って・・・。
モトクロス黄金時代」(八重洲出版)から。

第1回の浅間高原レースが1955年(昭和30年)、第1回の全日本クラブマンレース(浅間)が1958年(昭和33年)。
その翌年の1959年(昭和34年)4月に大阪・信太山(しのだやま)特設コースで「第1回全日本モトクロス競技大会」が開催されます。

これまで「スクランブルレース」と呼ばれていたものが、この大会で初めて「モトクロス」という名が使われたということです。
各クラス優勝者は、久保和夫(125cc)、中尾保(250cc)、藤井猛(251cc以上)、北野元(オープン)。

その後1961年(昭和36年)に現MFJ(日本モーターサイクル協会)が設立され、1964年(昭和39年)には、MFJ第1回モトクロス日本GP(群馬・相馬ヶ原)が開催されます。
この第1回モトクロス日本GPでは、50ccが小島松久(マウンテンライダース・スズキ)、125ccと250ccが久保和夫(城北ライダース・スズキ)、251cc以上クラスが三室恵義(スポーツライダース・ヤマハ)が優勝。

このころは、1962年(昭和37年)に鈴鹿サーキット、1965年(昭和40年)に富士スピードウェイが開業しますが、モトクロスも全国各地で開催され、ブームとなっていったそうです。

1967年(昭和42年)からは、MFJが全日本モトクロス選手権シリーズを開始。
初代のチャンピオンに輝いたのは、90cc山本隆(カワサキ)、125cc吉村太一(ホンダ)、250cc山本隆(カワサキ)。

1967年MFJ全日本選手権岡山大会での山本隆さん
隣にいるのが星野一義さん
(写真はホーリーエクイップさんから)

翌1968年(昭和43年)のモトクロスチャンピオン(セニアクラス)は、90cc星野一義(カワサキ)、125cc星野一義(カワサキ)、250cc山本隆(カワサキ)。

1969年(昭和44年)は、セニア90cc山本隆(カワサキ)、セニア125cc矢島金次郎(スズキ)、セニア250cc鈴木忠男(ヤマハ)。

こんなどこかで聞いたことあるような(?)今も多方面でご活躍中の方々がチャンピオンを獲得された黎明期なのでした。

2012年7月10日火曜日

大正15年にもレースはやっていたのですよ!

時はまたまたはるかに遡って大正15年(1926年)。

大正15年は昭和元年でもあります。時代背景はこんな感じ(→Wikipedia 1926年)です。前年の大正14年(1925年)は普通選挙法が公布。25歳以上の男子に選挙権が与えられた年。
そんな頃。

大正15年9月19日に、愛知県の津島市の天王川グラウンドで行われた「全国オートバイ競争」。



 (ナレーションより)
外国選手を迎え撃つ、石原、水谷、丸金?の地元選手。
全長800mのコース。
観客は延べ20万人!?
プロ選手とアマチュ選手数百名が参加?
優勝は松岡選手。賞金は金十圓也。

(追加のナレーションより)
昭和42年まで19回開催された。主催はMC同志会。


映像からも池の周りの楕円コースのようなので、おそらくここでしょう。


大きな地図で見る


こういうの見るにつけ、あらためて思うんです。
日本人って、オートバイ好き・モータースポーツ好きな国民性なのだ!」ってね。

2012年7月7日土曜日

第1回全日本クラブマンレースの参加クラブ一覧

1958年(昭和33年)の第1回全日本クラブマンレース(浅間高原テストコース)に参加した全国のクラブ一覧です。
「酒井文人&クラブマンレースを語る会」(2012.7.1)の会場で流れた記録映像から。




イロハ順(渋い!)
ハイスピリッツM.C.C(東京)、88M.C(東京)、日本M.C.アマチュア(東京)、
ホンダスピードC.(東京)、凡々C.(神奈川)、東京トライアルC.(東京)、東京オトキチC.(T.O.C)(東京)、東京サイクロンC.(東京)、東京ピストンC.(東京)、千曲M.C.C.(長野)、沼津モーターC.(静岡)、大阪車友会(大阪)、オールジャパンM.C.C.(東京)、オール千葉M.C.C.(千葉)、ワールドワイドM.C.C.(東京)、和歌山愛輪C.(和歌山)、神楽坂M.C.C.(東京)、カナガワナイト(神奈川)、タイガースターC.(東京)、高崎オートC.(群馬)、ツアーM.C.C.(東京)、長野単車マニアーズ(長野)、ノーリミットM.C.C.(東京)、クマンバチC.(東京)、クラブペースメーカー(神戸)、ヤマハ中古車部M.C.C.(東京)、福島スポーツライダー(福島)、ファルコンM.C.C.(埼玉)、コマンド・オブM.C.(大阪)、エーコンM.C.C.(神奈川 )、ICMB.C(東京)、三多摩ホンダ友の会(東京)、北軽M.C.C.(群馬)、ギャルソンM.C.C.(東京)、目黒M.C.C.(東京)、ミナトヤマハC.(東京)、シェパードM.C.C.(東京)、城北ライダース(東京)、ジュニアスポーツC.(東京)、J.T.C.(東京)、ジャガーM.C.C.(埼玉)、ジョンソンロードナイト(埼玉)、モートマックC.(大阪)、スインギングアマーズ(大阪)、スポーツライダー(神奈川)
以上45クラブ


「私のお父さん、このクラブのメンバーでした!」なんて話が出てきたら面白いですが・・・。

2012年7月4日水曜日

浅間高原自動車テストコース

先日の「酒井文人&クラブマンレースを語る会」の余韻にまだ浸っていたりしますが・・・。

ところで、第1回全日本クラブマンレース、そしてその前年の第2回浅間火山レースの開催地である「浅間高原自動車テストコース」とはどのへんだったのか?

Googleマップで見るとこのあたり。


大きな地図で見る

地球探検の旅」というサイトにも登録されていました。

この浅間高原自動車テストコースについても、探すとたくさん興味深い情報が出てきますね。

浅間関連は特に相当な情報があるので、のちのち細かく追っていくとして、ひとまず次のテーマへ行かないと。

浅間高原自動車テストコース - Wikipedia

2012年7月1日日曜日

「酒井文人とクラブマンレースを語る会」にて

NPO The Good Times理事長の古谷さんのはからいで、「酒井文人とクラブマンレースを語る会」の席に混ぜていただきました。

参加者の皆々様は、とにかく私にとっては伝説的なお名前の方ばかり。

こんな機会はそうはあるものではありません。

先輩方のお話を一字一句聞き漏らさぬよう、耳をそばだて、そしてこの「二輪文化を伝える会」についてもちょっとご説明させていただいたり。

とにかく今は興奮冷めやらずといったところです。


わたしたちライダーをはじめ、バイクに関わる者は、このような偉大な先人先輩たちの残してくれたものの上に今があることを噛み締めなくちゃいけませんね!

それにしてもレースっていいなぁってあらためて思いました!


あと偉大な大先輩が大々先輩の前で恐縮しているのも微笑ましい(^^)


Facebookページに会の様子の写真がありますのでぜひ見てください。

(松島)