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2012年8月22日水曜日

GSバッテリー、その名の由来は・・・

トリビア的雑学です。


1909年(明治42年)に日本で初めての国産オートバイ「NS号」を作った島津楢蔵さん。

その島津楢蔵さんについて調べていて、「島津源蔵」さんというお名前に出くわしました。(このおふたりに血縁関係はないそうです)

島津源蔵さんは、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの務める会社「島津製作所」の二代目社長であり、「日本のエジソン」とも呼ばれるような大発明家でした。

島津源蔵さんのイニシャルはGS。

あの「GSバッテリー」を作った方でした!

現在は、ジーエス・ユアサバッテリー
ガソリンスタンド用のバッテリーでも、Grand なんとかでも、Generalなんとかの略でもなかったのですね。(私、全然知りませんでした。。。)

ちなみに、島津楢蔵さんの作ったNS号のNSもイニシャルですね。

【人物伝】島津楢蔵


2012年8月17日金曜日

日本で初めてのオートバイレース(エキシビション)

日本で初めてのオートバイレースは、1914年(大正3年)(※1912年・明治45年 文末に追記あり)に鳴尾競馬場で開かれた、と言われています。

この鳴尾競馬場でのレースについてちょっと調べてみようとしたら・・・。

日本財団図書館で読める「公営競技の文化経済学」の「公営ギャンブルの歴史:五、オートレース」によると、
最初のレースは一九一〇(明治43)年一一月に不忍池のほとりで開かれた自転車競争の余興であった。オートレースとしては一九一四(大正3)年に兵庫県鳴尾競馬場で行われたのが最初で、翌年には東京目黒競馬場で行われている。
(オートレースといっても今のものとは違い、いわゆるダートトラックレース)
とあります。

大正3年の鳴尾競馬場でのレース以前にも、らしきもの(エキシビションレース?)はあったようですね。
で、「1910年 不忍池 自転車競争」で検索してみると、どうやらそれは「内外連合自転車競争運動会」という大会だったようです。

さらに、「内外連合自転車競争運動会 オートバイ 1910年」で検索すると、「日本自転車資料年表(江戸・明治編)」というページが見つかりました。が、そこには
1901年11月4日 時事新報 上野不忍池で自転車競走会の余興として 本邦初のオートバイ・レースが行われる
と書かれています。
ん?1901年?

画像は「上野観光連盟公式サイト」から


1910年か1901年か。単なる誤植か勘違いか。
オートバイの渡来は1903年だったと言われていたりもしたので、1901年は間違いなのかなぁ・・・。

今度は「不忍池 オートバイレース」で検索してみると、なんと島津楢蔵さんに繋がります。
「モーターサイクル伝来」のところで参考にさせてもらった「私的二輪史研究『日本のオートバイの歴史』」での記述。
1903年(明治36年)
父親から米国製ピアス号自転車を買って貰う。桜島での自転車レースに出場
東京の不忍池で初めてオートバイを見る
むむむ。
しかも1903年?

ならば島津楢蔵さんの弟・山口銀三郎さんのお孫さんである山口宗久さんの「日本のモータリゼーションを作った明治の男の物語/島津楢蔵、山口銀三郎」に年表が出ていたから見てみよう。

すると
1900年(M33) 島津常次郎・楢蔵・銀三郎に自転車を買い与える
...楢蔵が、同年大阪桜島で開催された自転車レースに出場したり、東京上野不忍池で行われた自転車レースを見物するために上京し、余興として走行したモーターサイクルに感動したという記述もある。
おやおや?1900年?

ただこれは、実際に何年のことか定かでないようで、「ライト兄弟の自転車」のページには、
残念ながらこの写真には裏書きがなく、従って湯川氏の著述によると1900年(明治33年)、銀三郎のノートには高等小学校2年のとき、つまり1903年 (明治36年)とあり、またこのバン・クリーブという自転車の販売が開始されたのが1901年という記録もありで、今のところ正確な年が確定できない。
こうなると1910年より1901年のほうが有力な気がします。

この先は時事新報を調べるしかないですね。
ちなみに時事新報とは、福沢諭吉が創刊した日刊新聞です。慶応大学図書館に行くと発行新聞の全てが残っているそうです。
一般公開しているのかな?


【追記】(2015.2.11)
明治45年(1912年)5月5日に鳴尾競馬場で開かれた「第1回自動自転車競走会」が、日本で最初に開かれたオートバイだけによる大規模なレースのようです。(出典:Old-timer No.3「戦前オートバイ競走史1・関西競馬界と鳴尾競馬場の記録」八重洲出版)



  【人物伝】島津楢蔵 - 二輪文化を伝える会
 【amazon】公営競技の文化経済学 (文化経済学ライブラリー)

2012年8月7日火曜日

日本のモータリゼーションを作った明治の男の物語


明治41年に自作ガソリンエンジンを作った島津楢蔵さんのつづき。
島津楢蔵さんの弟、山口銀三郎さんの孫である山口宗久さんによる「日本のモーターリゼーションを作った明治の男の物語」に紹介されていた、島津楢蔵著の「モーターサイクル」の一節です。

いやーたまんないですね!

「初めてエンジンが回ったその時」
“狂奮”
希望に燃え希望に悩んだ半疑の試し
青い焔を吐きつゝとぎれとぎれの
爆音たてゝ
処女作のエンヂンが産声を挙げた一瞬
全身の血潮は過熱して沸騰したのか
常態を失して、もう大地に足が着かない...
(つづきはリンク先で→「初めてエンジンが回ったその時」)

画像は「日本のモータリゼーションを作った明治の男の物語」より


日本のモーターリゼーションを作った明治の男の物語

2012年8月3日金曜日

国産オートバイ1号車「NS号」

NS号や島津楢蔵さんについても、ちょっと調べると面白そうな話がいっぱい出てきます。

とりあえず今日は2つだけ。

国産オートバイ1号車「NS号」
画像は「日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン」より

何をもって「国産」なのかはありますが、島津楢蔵さんはこの前年1908年に2サイクルエンジンを作り、すぐに4サイクルに方向転換して試作。
その試作エンジンを載せて、1909年に作られたのがNS号。(本人のイニシャルですね)
これは間違いなく国産車と言えるでしょう。

島津楢蔵さんも面白そうな人で、この後、航空機エンジンの開発に傾倒。さらに機体製作に取り組もうとするも、個人・町工場の規模ではもはや無理ということになり、自動車学校を設立。
それも大正11年に閉校となり、オートバイの開発に戻ってくることになったそうです。

ちなみにライト兄弟が世界で初の有人動力飛行に成功したのが、約6年ほど前の1903年12月のこと。

このNS号。「NMC号」という名で約20台売り出されたとか。
でも「日本初の国産市販車」とは言われないのです。


1909年 国産オートバイ1号車 NS号 完成 - 二輪文化を伝える会