二輪文化を伝える会、第1回のイベントが終了しました。
ご参加いただいた皆さん、そしてゲストの古谷さん、山本さん、ありがとうございました!
土曜日は、山本さんがサプライズゲストとして、星野一義さん、金子豊さん、岡部能夫さん(三人とも元カワサキのライダー、カワサキコンバットのメンバーの方々です)を呼んでくださいまして、おおいに盛り上がりました。
昔の写真を見て星野さんも懐かしがっていました。
この日の星野さんはもう完全に「ライダー星野」「カワサキの星野」でした!
当時大好きでよく描いていたというCB72のイラスト、その場で描いてくださったものです!超貴重品!
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日曜は一転、テーブルを囲んでじっくりお話を聞く会となり、濃密な時間となりました。
山本さんにはバイクの乗りはじめの頃から、じっくりお話をお聞きしました。明かせない裏話ももちろん有り!
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とりあえず速報でした。
開催レポートはあらためてイベント報告としてホームページに掲載します。
「二輪文化を伝える会」として、これでまずはじめの一歩を踏み出せたような気がします。
今後ともどうぞよろしくお願い致します!
2012年11月12日月曜日
2012年11月8日木曜日
二輪文化を伝える会のカードです
二輪文化を伝える会では、カード会員の一般募集をもうすぐスタートさせます。
このカードは、NPO法人The Good Timesの会員システムを利用しています。
ですので、The Good Timesのカードでもあり、二輪文化を伝える会のカードでもあります。
入会金1,000円で年会費等はありません(これもThe Good Timesの仕組みです)。
申し込み方法など詳細はまた追ってお知らせいたします。
よろしくお願い致します!!
2012年10月31日水曜日
11/10,11 トークショー 参加者募集中
11月10日と11日に二輪文化を伝える会の第1回トークイベントを品川で開催します。
ゲストはMFJ全日本モトクロス初代チャンピオンの山本隆さんとカワサキOBの古谷錬太郎さん。
ゲストはMFJ全日本モトクロス初代チャンピオンの山本隆さんとカワサキOBの古谷錬太郎さん。
今回は山本さんと古谷さんに、カワサキの二輪事業・レース活動の初期~山本さんのMFJモトクロス3年連続チャンピオンの時代(昭和35〜45年頃)を中心にお話しいただく予定です。
右の写真は1967年全日本選手権岡山での山本さん。お隣にいるのは星野一義さんです。(写真:ホーリーエクイップさんより)
山本さんは星野さんのお師匠さんでもあるんです!当日はそのあたりのお話もじっくり聞きたいと思ってます。
まだ両日とも席に余裕があります。みなさん大先輩のお話を聞きに来てください!
詳細、参加申し込みはホームページからできます。
詳細、参加申し込みはホームページからできます。
2012年10月17日水曜日
二輪文化を伝える会のプレートができました!
2012年10月7日日曜日
11月10日・11日に第1回トークショー開催!
11月10日と11日、東京・品川にて二輪文化を伝える会・第1回のトークショーを開催します。
ゲストはMFJ初代モトクロスチャンピオン山本隆さんとカワサキ二輪事業の初期から携わってきた古谷錬太郎さん。
場所はJR品川駅直結のアトレ品川4Fカフェダイニング・トランスファー。
10日(土)17:00〜20:00、11日(日)10:45〜13:45
各日とも30名様限定です。
おふたりには貴重な日本のバイクの歴史・カワサキのレースの歴史についてお伺いします。
関東でおふたりのお話が聞ける機会はなかなかないと思います。
詳細・お申込みはイベント情報のページから。
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こちらもご一読を。
「二輪文化を伝える会のトークイベントへの思い」
「二輪文化を伝える会のトークイベントへの思い」
2012年9月24日月曜日
二輪文化を伝える会のトークイベントへの思い
日本のオートバイはいつ頃から作られ始めたのか?
製造会社はこれまでにどのくらい存在したのか?
車両開発者はどのような夢を抱き、製品にしていったのか?
国内から海外へ、世界に向けてのモノ作りの現場にはどんな野望や苦労があったのか?
車両の性能を競うレースはいつどこで始まったのか?
人々はオートバイにどんな夢や希望やロマンを感じていたのか?
黎明期のレースに出場された方、過去に存在していたメーカーで製造に携わっていた方、世界を制するために心血を注いだ方・・・。
オートバイやレースに関係の深い方々の、貴重な体験談、汗と涙の苦労話、今でも語り継がれる伝説などなど、ご本人からリアルに当時の話を聞くことができたならどんなに素晴らしいことでしょう!
そんな思いの実現を目指したのが「二輪文化を伝える会」のトークイベントです。
ホームページでは、オートバイやレースの歴史をひも解き、トークショーではご本人から直接そのお話を聞く。この二本立てで二輪の歴史、日本の二輪文化の素晴らしさを多くの方々に伝えたいと思っています。
ゲストと参加者みなさまが一体になったひととき。料理にもこだわり、食べながら飲みながらのご歓談。
次も参加したいと思っていただけるような機会を数多く作っていきたいと考えております。
レースが終わった後のパドック。レース前のピリピリした空気から、ちょっと和んだ雰囲気に包まれる夕暮れのこの時間が私は好きです。
ライダーやスタッフと応援に来た人たちが、今日のレースを振り返って談笑するような、そんな雰囲気のイベントにできたらと思っています。
製造会社はこれまでにどのくらい存在したのか?
車両開発者はどのような夢を抱き、製品にしていったのか?
国内から海外へ、世界に向けてのモノ作りの現場にはどんな野望や苦労があったのか?
車両の性能を競うレースはいつどこで始まったのか?
人々はオートバイにどんな夢や希望やロマンを感じていたのか?
黎明期のレースに出場された方、過去に存在していたメーカーで製造に携わっていた方、世界を制するために心血を注いだ方・・・。
オートバイやレースに関係の深い方々の、貴重な体験談、汗と涙の苦労話、今でも語り継がれる伝説などなど、ご本人からリアルに当時の話を聞くことができたならどんなに素晴らしいことでしょう!
そんな思いの実現を目指したのが「二輪文化を伝える会」のトークイベントです。
ホームページでは、オートバイやレースの歴史をひも解き、トークショーではご本人から直接そのお話を聞く。この二本立てで二輪の歴史、日本の二輪文化の素晴らしさを多くの方々に伝えたいと思っています。
ゲストと参加者みなさまが一体になったひととき。料理にもこだわり、食べながら飲みながらのご歓談。
次も参加したいと思っていただけるような機会を数多く作っていきたいと考えております。
(村島)
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レースが終わった後のパドック。レース前のピリピリした空気から、ちょっと和んだ雰囲気に包まれる夕暮れのこの時間が私は好きです。
ライダーやスタッフと応援に来た人たちが、今日のレースを振り返って談笑するような、そんな雰囲気のイベントにできたらと思っています。
(松島)
2012年9月3日月曜日
メグロの歴史:目黒製作所と北見さん
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「日本のオートバイ・ CATALOG COLLECTION」 (双葉社)から |
メグロは目黒製作所が作ったオートバイ。
「メグロの履歴室」を参考にその創業エピソードを振り返ると・・・。
目黒製作所は、1924年(大正13年)に創業。
日本のオートバイメーカーの中でもかなりの老舗と言えるでしょう。
創業者が目黒さんだったかというと、そうではなく、村田延治さん。
ではなぜ「目黒製作所」?
所在地の荏原郡から取ることを考えるが、当時既に(株)荏原製作所が盛業中であり、「製作所」の語尾を付けたい二人には、この案は取れなかった。当時工場名に「製作所」と入れることが流行り、また信頼の高い事業所も多かったこともあり、はずせなかった。では、と桐ヶ谷とすれば近所に火葬場があり印象が悪い。思案した末、選んだのが「目黒」であった。目黒の街からはやや離れてはいるが、この周辺を「目黒」と称していたことと、河川や近所にあったお不動さんも競馬場も「目黒」なのだし、これなら良いだろう・・・と。ということで「目黒製作所」となったらしい。
ここに「目黒製作所」の創業をみたのである。
(~メグロの履歴室~:目黒製作所創業まで(2))
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ここから長いメグロの歴史が始まります。
カワサキに吸収される昭和39年で終わってしまったわけではなく、今も「W」をはじめカワサキのオートバイにその血は流れ続けています。
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中央が北見さん。 (左は元チームグリーン監督平井さん、右は元カワサキ古谷さん) |
カワサキZ系のチューナーとして今も多くのファンがいる方ですが、北見さんはメグロのご出身。
確か入社は昭和28年とおっしゃっていたかな。当時は30人くらいの町工場で、そのあと会社は巨大化し、労使紛争があり、やがてカワサキへ、という一連の歴史を社内で見てこられた方です。
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