2012年7月15日日曜日

1960年代 第1次モトクロスブーム

時代は浅間の頃に戻って・・・。
モトクロス黄金時代」(八重洲出版)から。

第1回の浅間高原レースが1955年(昭和30年)、第1回の全日本クラブマンレース(浅間)が1958年(昭和33年)。
その翌年の1959年(昭和34年)4月に大阪・信太山(しのだやま)特設コースで「第1回全日本モトクロス競技大会」が開催されます。

これまで「スクランブルレース」と呼ばれていたものが、この大会で初めて「モトクロス」という名が使われたということです。
各クラス優勝者は、久保和夫(125cc)、中尾保(250cc)、藤井猛(251cc以上)、北野元(オープン)。

その後1961年(昭和36年)に現MFJ(日本モーターサイクル協会)が設立され、1964年(昭和39年)には、MFJ第1回モトクロス日本GP(群馬・相馬ヶ原)が開催されます。
この第1回モトクロス日本GPでは、50ccが小島松久(マウンテンライダース・スズキ)、125ccと250ccが久保和夫(城北ライダース・スズキ)、251cc以上クラスが三室恵義(スポーツライダース・ヤマハ)が優勝。

このころは、1962年(昭和37年)に鈴鹿サーキット、1965年(昭和40年)に富士スピードウェイが開業しますが、モトクロスも全国各地で開催され、ブームとなっていったそうです。

1967年(昭和42年)からは、MFJが全日本モトクロス選手権シリーズを開始。
初代のチャンピオンに輝いたのは、90cc山本隆(カワサキ)、125cc吉村太一(ホンダ)、250cc山本隆(カワサキ)。

1967年MFJ全日本選手権岡山大会での山本隆さん
隣にいるのが星野一義さん
(写真はホーリーエクイップさんから)

翌1968年(昭和43年)のモトクロスチャンピオン(セニアクラス)は、90cc星野一義(カワサキ)、125cc星野一義(カワサキ)、250cc山本隆(カワサキ)。

1969年(昭和44年)は、セニア90cc山本隆(カワサキ)、セニア125cc矢島金次郎(スズキ)、セニア250cc鈴木忠男(ヤマハ)。

こんなどこかで聞いたことあるような(?)今も多方面でご活躍中の方々がチャンピオンを獲得された黎明期なのでした。

3 件のコメント:

  1. チョット物知り60おじさんです?
    ダイハツはバイクを制作していました「ツバサ号」です。
    手元にある、私が買い始めたモーターサイクリスト1957年11月号にも、ツバサ工業はダイハツ工業の姉妹会社ですと広告にまで明記されています。
    57年式GY型OHV250ccシャフトドライブでした。
    関西電力など企業特需がありました。

    返信削除
  2. 先のチョット物知りコメントはこの次の分用でした(二重投稿ミス)
    MX黄金時代、とても良いそして懐かしい響きです。
    当時は毎週のように各地を転戦していました。駆け出し時代は先輩方の御三家、久保和夫、荒井市次、三吉一行のお三人に追いつけ、追い越せと必死でした。
    そのかいあってか、やがて山本隆、鈴木忠男、矢島金次郎が新御三家と言われたような、いわれなかったような!時代に移り変わりました。
    残念なことは、引退後草レースの事故で、金ちゃんが帰らぬ人になってしまったことです。
    先日東京でMCFAJ時代を語る会?で40年以上振りに尊敬する久保和夫先輩とお逢い出来ました。
    先輩の前では、感激のあまり目頭が熱くなり声が途切れてしまいました。

    返信削除
  3. 先日の久保さんとの再会は、40年ぶり以上だとわかっていたのだから、ピッタリ張り付いてその瞬間を録画しておけばよかった、なんて今になって思います。
    何年経ってもドラマがあるのはレーシングスポーツですね。

    返信削除