2012年6月25日月曜日

昭和5年にマン島TTレースを走った日本人

MCFAJとMFJについてWikipediaで調べていたら・・・。

MFJは設立当初、なんだかゴタゴタしていたようで、1950年に一度できているが崩壊して、1961年に新MFJができたとか。

で、気になったのが、初期のMFJの代表の多田健蔵さん。「1930年(昭和5年)に日本人として初めてマン島TTレースに出場した」とあります。

ワタクシ、正直、お名前すら存じ上げませんでした。
いや、ちょっと調べてみると、たぶんこれまでに何度も目にした事はあったのだと思いますが・・・。

しかし今になってみて、あらためていろいろ興味深い話が。

シベリア鉄道を使ってマン島まで40日かけて移動した、とか、ベロセットの350ccで15位で完走した、とか、表彰式には紋付袴で登場した、とか、のちのホンダのマン島挑戦にも尽力した、とか。


画像はこちらのブログ(FishTail Garage)から。
元はOld Timer誌かな?

多田健蔵さんについて、もう少し調べてみようと思います(人物伝にはこういった話を載せようかと)。
何かご存知の方は教えてください。

2 件のコメント:

  1. 多田さんは、たしか、1930年のマン島レースの時に使われたスパークプラグを日本に持ち帰った人でしたね。

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    1. 技術の伝道師的役割も果たしたのですね。
      スパークプラグとかチェーンとかは当時の日本の技術ではかなり難しいものだったと聞きます。

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