2013年3月19日火曜日

ブログ移転のお知らせ

二輪文化を伝える会のブログを、ホームページ内に移しました。

http://2rin-tsutaeru.net/

今後ともよろしくお願い致します。

2012年12月21日金曜日

マスターライダース忘年会(その1)

12月16日にマスターライダース忘年会が開かれるとのことで、開催のお手伝いをしている先輩にお願いして混ぜていただくことに。

元ヤマハワークス本橋明泰さんをはじめ、レジェンドの方々が集まりました!


*
会場は川口オート正門前の「Cross-Road 39」。スズキ・ホンダで活躍された荘利光さんのお店(ミュージックバー)です。店内には荘さんの現役時代の写真も。


*
レジェンドの方々も楽しみにしていたご様子。「30年ぶりか?」「40年ぶりだな!」なんて会話も聞こえてきます。再会を喜ぶ姿は微笑ましかったりもしますね。昔話に花が咲きます。
糟野雅治さんは遠路京都からのご参加!。


*
トーハツ、カワサキ、スズキでワークスライダーとして活躍された安良岡健さん。マカオではカジノの帝王?
今でもマスターライダーのみなさんの親分的存在です。



*
元ヤマハワークス浅見貞男さん。現在もサスペンションチューニングショップ浅見レーシングでご活躍中。


*
元スズキワークスで、この会の首謀者でもある輝井嶂(てるいあきら)さん。自ら「本日の主役」「危険人物」と名乗るエンターテナー。マカオGPでも活躍(マカオの夜の街でも?)。


*
"暁の超特急""スーパートニー"荘利光さん。SRTアパッチの荘さんです。会場となったミュージックバー「Cross-Road 39」のオーナーでもあります。「39」はホンダ時代のゼッケンだそうです。


*
元ヤマハワークスの大御所、本橋明泰さん。現在はドイツのパニアメーカー・クラウザーの国内総代理店「モトコ」の会長さんです。 ヤマハのWGP50周年記念サイトもどうぞ。


*
スズキワークスライダーとしてRG500で活躍されていた岩崎勝さん。のちに若きノリック(故・阿部典史選手)の所属するチームブルーフォックスで監督を務められました。「当時ノリはマシンのことは全然わかってなくて苦労しました」なんてエピソードも。


*
バリー・シーンのメカニックを務められた岡本満さん(右)。つい先日もバリーのお墓参りに行ってきたとか。元スズキワークスライダー安良岡健さん(左)と。



*
ホンダワークスを経て、ROC YAMAHAからWGP500に参戦していた新垣敏之選手。現在も全日本に参戦中。


*
まだまだつづきます。



2012年12月10日月曜日

「ばいく〜んGoGo!」で第1回イベントの様子が公開されました

バイクオークションのBDSの運営サイト「BBB」の中に、ポッドキャストによるインターネットラジオ番組「ばいく〜んGoGo!」というのがあります。

11月の第1回トークイベントの際、小林ゆきさんがマイクと取材中のプラカード持参で録音してくれたものが編集され、この度公開となりました。

当日来られなかった方、もう一度聞きたい参加者のみなさん、ちょっと長いですけど、お時間のある時に聞いてみてください。
リンク先ページで「Play Now!! 今すぐ聞く」ボタンを押すと始まります)

ばいく〜んGoGo! Vol.22


ちなみに番組中、山本さんが「一番のお気に入りの写真です」と言っていたのはこれです。
1964年10月10日第10回MCFAJ全日本クラブマンモトクロス(伊豆丸野山高原)
125ccクラスで、荒井市次さん(2位)久保和夫さん(3位)を破って山本さんが優勝!

星野一義さんも加わって記念撮影

第2回は、2013年2月2日に久保和夫さんと加賀山就臣選手をゲストにお迎えして開催しますので、みなさんのご参加をお待ちしています!



2012年12月8日土曜日

浅間高原自動車テストコースの写真

昭和32年に作られた浅間高原自動車テストコース。

第2回浅間火山レースが開催され、翌年昭和33年には、MCFAJ第1回全日本クラブマンロードレースが、さらに昭和34年に、第2回クラブマンレースと第3回浅間火山レース同時開催・・・。

そして大藪春彦の小説「汚れた英雄」の冒頭シーンほかで登場する、北野晶夫がリヤカーにレーシングマシンを載せて現れたあの浅間のコースです。

日本のオートバイレースの原点とも言うべきコースですが、上記のわずか3年間のみレースで使用され、あとはテストコースとして利用、その後数年で役目を終えてしまったというはかない歴史があります。

その浅間のコースを昭和44年当時にコース内で撮った写真が公開されています。

当時月刊モーターサイクリストのリポーターをされていたという夢地蔵さんのサイトです。

写真提供:atelier yumejizo


火山灰で雨が降るとスゴイことになるらしいですが(第1回全日本クラブマンレース)、コンディションのいい時なら走ってみたいようなコースですね!


2012年12月7日金曜日

【人物伝】に谷口尚己さんのページを作りました

二輪文化を伝える会、人物伝に谷口尚己さんのページを作りました。

1955年(昭和30年)の第1回浅間高原レース、57年の第2回浅間火山レースに出場。そして1959年のHondaのマン島TTレース初出場の一員として参戦。このレースで6位に入賞し、日本人初の世界選手権のポイントを獲得。

※ちなみに、日本人としてマン島TTレースに初めて出場・完走したのは多田健蔵さん。その年から遡ること29年、なんと1930年(昭和5年)のことでした。

さて谷口尚己さんは、マン島での初ポイント以降もHondaのワークスライダーとして世界グランプリなどで活躍されたので、当然ながらHondaのイメージが強いのですが、実は現役引退間際にはカワサキと契約していたこともあるんですね。

1967年に富士スピードウェイでの日本GP(スタートでエンジンがかからず?リタイヤ)、その後シンガポールGPに出場して優勝を果たしています。

「シンガポールでの優勝で、売れ残っていたカワサキの在庫がきれいになくなったと聞いてますよ。」と筑波のテイストオブフリーランス(2012年6月)でお会いした時に語ってくださいました。

2012年7月の「酒井文人とクラブマンレースを語る会」での谷口さん

2012年12月1日土曜日

1964年のマン島TTレース50ccクラス

一つ前のエントリー「1963年スズキ世界GP・伊藤光夫さんマン島TT優勝の記録映像」のつづき。

1964年の世界GP第5戦イギリス・マン島TTレース50ccクラスの決勝のカラー映像です。

スズキとホンダ、クライドラーの他にトーハツも参戦してますね。
(正直クライドラーというメーカーについてほとんど知らない...)


これも当時のSUZUKIのエンジニア、中野広之さんの「1964年世界選手権レース」(日本モーターサイクルレースの夜明け)とあわせてどうぞ。

優勝はスズキのアンダーソン。予選トップの#18伊藤光夫さんはマシン不調で5位、連覇ならず。#7森下勲さんが3位。
Hondaの#18谷口尚己さんが6位、Suzukiの#2越野晴雄さんは3位につけていながら野ネズミを避け損なって転倒リタイヤ。

2012年11月30日金曜日

1963年スズキ世界GP・伊藤光夫さんマン島TT優勝の記録映像

1963年(昭和38年)に世界GPを戦ったスズキの記録映像です。

エンジン音も当時の本物みたいですね。50ccの甲高いエキゾーストノートが聞けます。
Hondaでは125ccで高橋国光さんも走っています。

Part1は、第1戦スペイン(バルセロナ)、第2戦西ドイツ(ホッケンハイム)、第3戦フランス(グレルモンフェラン)、第4戦イギリス(マン島)の紹介まで。
Part2は、第4戦イギリス(マン島)の125ccと50ccの予選と決勝。

このマン島TTレース50ccクラスでスズキの伊藤光夫さんが日本人として初優勝したのです。
日の丸が揚がってます! 君が代が流れてます!

素晴らしい!

当時のスズキのエンジニア中野広之さんの「TTレ-ス伊藤光夫優勝、50・125ccダブルタイトル獲得」(日本モーターサイクルレースの夜明け)もあわせてどうぞ。